相続債務
相続人は債務も承継する
相続人は債務も承継する
ドイツ民法の「相続債務に関する相続人の責任」(Haftung des Erben für die Nachlassverbindlichkeiten)と題する節は、次の条文から始まります。
相続人は相続債務について責任を負う(haften)
つまり、相続人は、相続によって被相続人の資産(積極財産)だけでなく債務(消極財産)も承継し、被相続人が負っていたすべての債務を履行する義務を負います。共同相続の場合、各共同相続人は相続債務について連帯債務(Gesamtschuldner)を負います(2058 条)。つまり、相続債権者に対して各相続人は自分の相続割合部分を超え、債務の全額について支払いの義務を負います。
相続によって被相続人の債務(相続債務)は相続人に引き継がれる、というのがドイツ民法の大原則です。しかも、共同相続人は連帯債務を負う、とされています。これは相続債権者の立場を重視した制度と言えます。
しかしながら、その一方で民法は債務を引き継ぐ相続人を保護する制度をいくつも設けています。日本の民法は、相続人が身を守る手段として「限定承認」という制度を設けていますが、逆に言えば相続人を保護する仕組みはそれしかありません。ドイツの民法には限定承認に見合う制度はありませんが、相続開始後の状況に応じて、相続人にさまざまな防御権(抗弁権)を与えることで、相続によって相続人が損を被ることがないようにしています。ただし、それは相続人が自己の身を守るべく行動することが前提です。そのプロセスには遺産裁判所も関与し、相続人も相続債権者に対して真摯に対処することが要求されています。
相続債務をめぐり、相続人と相続債権者の利害は鋭く対立します。相続人は、被相続人の積極財産が消極財産(債務など)を上回ると期待して相続を承認するのが通常ですが、被相続人の資産状況はよくわからないことも多くあります。このため、相続には予期せぬ相続債務の履行を要求されるリスクが伴います。
相続による債務の承継は、相続債権者と相続人固有の債権者との間の利害対立も生みます。被相続人が債務超過の状況にあれば、相続人の債権者にとっては相続が不利に働きます。焦げ付き債権になるリスクが増すためです。逆に、相続人が債務超過の状況にあれば、相続債権者が同じ立場に置かれます。
このため、相続債権者、相続人、その債権者の間の利害を調整するための制度が不可欠になりますが、ドイツの民法では相続債権の責任財産を限定するという方法を中心に利害を調整しています。「責任財産」というのは、相続債権者が債務を履行させるために強制執行することができる財産を指します。それを相続財産に限定するのです。それによって、相続人は相続とは無関係の財産、つまり相続人がもともと持っていた財産や相続開始後に相続とは無関係に得た財産(相続人固有の財産)を取られることを防げます。相続債務を支払うために相続した遺産を処分する、遺産に強制執行される、というのは相続人にとってやむを得ないことでしょう。ですが、自分の財産まで取られるのであれば何のために相続したのかわかりませんし、相続債権者の権利をそこまで守る必要はないはずです。
ここでは、「債務を負う」ということと、「どの財産が債務の引き当てになるのか」(強制執行の対象となるのか)ということを区別して考えることがポイントになっています。多分にテクニカルな手法ですが、この点を頭に入れていただければ、これから先の説明はわかりやすいはずです。
相続人と債権者の間の利害の調整は、相続後の状況に応じておこなわれているので、以下、相続後の時系列に沿って説明していきます。
相続人に認められている防御権
相続の開始直後
相続人は相続開始後の 3 カ月間は相続債権者から債務を履行するよう請求があっても、それを拒否することが認められています(2014 条)。「3 か月抗弁」(Dreimonateseinrede)と呼ばれる抗弁権です。「抗弁権」(einrede)というのは請求を拒む権利を意味しています。この抗弁権は、相続人を債務から解放するものではありませんが、抗弁が認められる間、債務の履行は猶予されます。相続人はこの間に相続を放棄するか否かも検討することができます(相続放棄は 6 週間以内)。
それだけでなく、相続人には、相続債権者に対して債権届出を催促(Gläubigerangebot)する手続を申し立てるという選択肢も与えられています1。申し立ては、被相続人の相続開始時の常居地を管轄する区裁判所におこないます。申し立てがあると、裁判所は相続債権者に対して債権の届出を催促します。届出の期間は 6 週間から 6 か月の間で裁判所が定めます。公告は、裁判所の掲示板と官報(連邦報)に掲示・掲載されます。届出の期間が経過すると裁判所は「除外決定」(Ausschließungsbeschluss)を行います(FamFG 439 条)。
相続人は、この債権届出手続の間も債務の履行を拒むことができます。「債権届出抗弁」(Aufgebotseinrede)(2015 条)と呼ばれる防御権です。
届出期間の終了後は、届出期間中に債権届出をおこなわなかった相続債権者に対して、「除外の抗弁」(Ausschließungseinrede)という防御権で対抗することが認められます(1973 条)。これは、届出をした相続債権者の履行に応じることですでに相続財産が尽きてしまうことを証明して、除外決定によって除外された相続債権者の請求を拒む権利です。債権の届出を行うか否かは相続債権者の自由とされていますが、期間内に届出をおこなわなかった相続債権者は、この抗弁権によって債権を回収する道を封じられます。
ただし、遺留分、遺贈、負担の請求権者の権利は、除外の抗弁では対抗できないとされています(1972 条)。相続人にとってはわかっているはずのものだからです。
遺産目録の作成・提出
ドイツの民法には、遺産目録を作成して裁判所に提出することによって、「相続財産の範囲でのみ債務を履行する責任を負う」という先ほどの抗弁による保護をより実効的なものにする仕組みが設けられています。
相続人は、遺産目録を作成して公証人の認証を得たうえで遺産裁判所に提出することができます(1993 条)。目録には被相続人の積極財産と消極財産(相続債務)が列記されます。相続人が遺産目録を提出した場合、目録に記載されたもの以外の遺産(積極財産)が存在しないことが法律上推定されます(2009 条)。つまり、相続債権者から請求を受けても、先ほどの除外の抗弁と懈怠の抗弁を使って、請求を拒むことが容易になります。
この遺産目録の作成は、相続債権者の保護にもつながります。相続債権者が相続財産から債務の履行を受けるための情報を得られるからです。このため、相続債権者にも遺産目録の提出を求める権利が認められています。相続債権者から申し立てがあると、遺産裁判所は相続人に対して一定の期間内に遺産目録を作成して提出するよう命じます2(1994 条)。定められた期限内に遺産目録を提出しなかった相続人、あるいは虚偽内容の遺産目録を提出した相続人は、責任財産が限定されていない、無限定の履行義務を負います。目録の真実性の宣誓を拒んだ相続人も同様です。
無限定の履行義務を負うことになった相続人は、自分の固有財産に対する強制執行を拒むことができなくなります。
不足の抗弁
相続人にとって最も重要な権利は、「不足の抗弁」(Unzulänglichkeitseinrede)と呼ばれる防御権です。相続財産が相続債務を履行するには不足していることを理由に相続債務の履行を拒む、という権利です。相続財産が債務超過になっている必要はなく、債務の履行には「不足している」ことを証明すれば足ります3。
ドイツ民法でも、遺産裁判所に対して遺産管理人(Nachlassverwalter)の選任を申し立て、その管理人のもとで相続財産と相続人固有の財産を明確に分離する、という方法が用意されています(1981 条)。また、相続財産が債務超過に陥っている場合、相続人は相続財産の破産手続を申し立てなければなりません(1980 条)。これらの手続がおこなわれれば、相続財産は相続人の固有の財産から明確に分離され、相続人が固有の財産で被相続人の負の遺産を担わされることはありません。しかしながら、これらの手続は費用がかさむため、現実には相続財産にかなりの余裕がある場合にしか利用できません。相続によってマイナスを背負い込むかもしれない、というリスクは、相続財産が潤沢ではないケースで現実味を帯びることを考えると、明確な財産分離を経ることなくそれに似た効果を相続人にもたらす制度が必要になります。その要求にこたえるのが「不足の抗弁」です。
ただし、虚偽内容の遺産目録を提出したなどの理由で、相続人が無限定の責任を負う場合は、この抗弁権の行使は認められません。また、不足の抗弁には、相続財産が貧弱であるために相続財産管理人の選任と破産の申し立てができないことが要件とされています(1990 条)。
裁判所が不足の抗弁を認めた場合、「相続財産の範囲でのみ債務を履行する責任を負う」という条件付きの判決が下されます(ZPO 780 条)。相続債権者が後者の判決をもとに相続人の固有財産に強制執行を申し立てた場合、相続人は請求異議訴訟(Vollstreckungsgegenklage)を提起して、執行の取り消しを求めることができます。
懈怠の抗弁
相続開始から 5 年を過ぎてから初めて履行を請求した相続債権者も、先ほど説明した「除外の抗弁」で対抗される債権者と同様に扱われます(1974 条 1 項)。「懈怠の抗弁」(Versäuminiseinrede)と呼ばれる防御権です。つまり、相続財産がすでに尽きてしまっていることを理由に、請求を拒むことができます。
この防御権は、債権届出手続を行わなかった場合に意味を持ちます。債権届出手続には影響を受けないとされている遺留分請求権者、受贈者、負担の請求権者も「懈怠の抗弁」には服します。ただし、相続人が 5 年を経過する前に相続債権のことを知っていた場合、無限定の責任を負うことになった場合はこの抗弁をおこなうことができません。
以上が制度の概要です。相続人が相続によって予期せぬ請求にさらされないように防御する権利を与えていますが、相続人が自分の身を守るために誠実に行動することがその前提になっています。反対に、債権者の側もきちんと対応しないと債権を回収できなくなっています。両者をうまく組み合わせた制度ではないかと思います。